こんにちは。
人形の呪い専門家の望月琢矢です。
もう過去のことなので忘れ去られてますが、
昨年のハロウィンシーズン、USJがホラー特集ということで
様々な、気合の入ったお化け屋敷を企画・開催しましたね。
中でも話題を呼んだのが、
実際に供養に出された人形がおかれた部屋を巡る、
「祟」という日本人形系お化け屋敷。

「実際に供養に出された人形」というリアルさを追求するあまり、
全国ニュースにも取り上げられ大炎上したこの一件ですが、
少し時間が経ったことですし、冷静にイロイロ考えてみます。
炎上の経緯をざっくりいうと
USJが、人形供養で有名な和歌山県の淡島神社から、
実際に一般の方から、供養に出された日本人形600体以上をレンタルし、
お化け屋敷の演出として使用した。
これに対し、日本人形協会が
「日本人形を呪いや祟りといった恐怖の対象として扱っており、メーカーや小売業者への営業妨害になる」
として抗議。
また、
「供養に出した人形を商用目的に再利用するとは、何事か。」
「供養に出した人の気持ちを踏みにじる行為だ」
という批判の声も重なり、
炎上。
ということでございます。
「供養」って何をしたら供養なの?
今回の件は、供養の定義がはっきりしてないから、
淡島神社と日本人形協会の考え方の違いが論争を生んだ結果となりました。
淡島神社の供養観
みんなに遊んでもらい、活躍の場を提供してあげるのが、
人形にとって一番の供養である。という考え方。
日本人形協会の供養観
恐らくですが、供養するということは、人形への気持ちも全て
成仏させて、火葬する。っていうのが供養のイメージなんじゃないかと思います。
これが、決定的な認識の違い。
もし、「日本供養協会」的なのがあれば、
正式な「供養」の定義をしていただき、
どちらが「供養」にそぐわないかを判断してもらうのが一番でしょう。
結局は供養をお願いする人の判断
今回の件で淡島神社の供養に対する考え方は明らかになったわけだし、
もともと淡島神社は供養された人形をずらずらと並べて観光スポット化してたから、
そもそも淡島神社に供養をお願いするような人はその辺は承知の上のはず。
公共のものになって、みんなに怖がられる(遊んでもらえる)ことが、
人形にとっても自分にとっても一番気持ちのいい、気持ちのリセット方法だな、
と思えば淡島神社に供養をお願いするのがいいと思いますし、
供養したら、もうその人形のことは忘れたい、
もしくは自分の記憶の中だけに留めておきたい、くらいの気持ちであれば、
しっかり火葬をしている供養所にお願いすればいい。
営業妨害だ!って嘆いている人形屋は淘汰されるべき。
日本人形協会は公共の組織ですので、「営業妨害」の抗議をして自らの立ち位置を明白にするのは必要なことです。
しかし
それに一緒になって「こんなことされたら困る!」って抗議をしてるメーカー・小売店は、
思考がもう時代に合っていないので淘汰されるべきです。
USJがお化け屋敷をやらなくても、日本人形は「怖い」って認識されていて、
それがアトラクションとして成立する、という現実を、私たちは見つめなきゃいけない。
はっきり言いますがぼくだって
日本人形、怖いですよ?!
人が使ってたのが怖いのか、商品としてすでに怖いのか
人が使っていた人形は想いがこもっているから、
他人から見たら不気味だし怖いかもしれません。
でもこれは、所有者本人からして見たらとっても愛くるしくて
大事なお守りに見えるんです。
これは人形にとって大切な要素。ある程度怖いと思われても、
これならOK。それだけ人形にパワーがあるということだから。
でも、誰のものでもない、店頭に並んでる新品を見て、
「怖い」と言われるようであれば、もうそれは「魅力的じゃない」ということ。
いつまでも過去の魅力を押し付けてちゃダメです。
顧客の声を聞きながら、本当に魅力ある商品を作る
今回の件は、一般の方々が人形に対してどんなイメージを持っているか、
色々な意見を聞けたので大変よかったと思います。
USJさん、淡島神社さん、ありがとう。
この意見を以ってメーカーである弊社がどこまで変化に対応できるか。
これに真面目に向き合っていくしかない。
企業にとってクレームは宝である。
商品に対するネガティブイメージもまた、宝である。